「電話線」
どこまでも どこまでも 降り続く雪。羽根のように軽い雪。手の平にのせるとすぐに溶けてしまう白い雪。
今年の雪は、例年より軽い雪だ。羽根よりも軽い・・・、天使よりも軽い・・・、まるで重さというものがないような・・・、
降る雪をながめながら、ひとり つぶやく。
・・・「おふろ、洗わなきゃ。」
「ピンポーン。」
・・・こんな、北国の山の中、来客など 。
・・・「はい。」
・・・まさか、キツネでもあるまい。そそくさと、玄関まで走ってみる。
・・・鍵など閉めていない玄関をあける。
・・・ちいさく あける。
「こんにちは。電話線をひきにきました。」
・・・「は? 電話なら まにあってますけど。」
「おたくの旦那さまからの依頼です。家に電話をひいてほしいと・・・。」
・・・「そうですか。ごくろうさまです。だけど、今日は、雪がすごいですよ。なにもこんな日に、電話の工事だなんて。」
「おたくの旦那さまからの依頼なのです。本日、午後三時より、工事を始めろとのこと。急いでいらっしゃるようで。」
依頼された男は、まるで売春婦であるかのごとく、すぐに仕事に取り掛かった。そそくさと自前のヘルメットをかぶり、気の抜けたようなグレーの光る防寒着を着用し、家のいちばん近くの電柱に、プロの手わざで、ぬるぬると登っていくのであった。
「奥さん、今日は雪がひどいですからね、仕事は早そうに終わらせますので、家にいてくださいよ。」
心配そうに見つめる女を、男は、事を終え、すぐに現実をつかまえるかのごとく、男の甲斐性でそう言うのであった。そして、夢から覚めるかのごとく、電柱をスーっと降りてきた。
そして男は、 降り積もる雪道に、行きの足跡と違う足跡をつけながら女の家へと足を速め、今度は、呼び鈴も鳴らなず、無礼にもドアを開けるのであった。全身
雪まみれだ。
「奥さん、穴あけますよ、穴。新しく電話線ひくには、家に穴あけなきゃならないのですよ。了解してくださいね。どの辺にあけますか。穴。なにしろ急いでいるとのことで。」
・・・とにかく、主人に電話してみなきゃ。ほんとに主人は電話工事を頼んだのかしら。
女は、携帯電話を手にし、外にでて、電波の通じそうなところに足を運ぶのだった。なにしろ山の中だ。電波が届くときと届かないときがある。今日は、あいにくの雪で電波が届かない。
吹雪だ。
不安を残したまま、家に戻ってみると、男は、庭に出て、雪かきを始めているのであった。
「奥さん、穴あけますからね、穴。外からあけるんですよ。この雪の積もりようじゃ、作業できませんからね。シャベル、お借りしました。」
そう言って、ひたすら雪かきをするのであった。
まさかの作業だ。男は、NTTに就職して、まさか、こんな山の中で雪かきをしようものとは、思いもつかなかったことだろう。
男は汗をかいている。
女はみつめてる。現実を。
「開通しました。新しい電話番号です。メモしてくださいね。」
それから男は、作業着のポケットから、会社専用の携帯電話を取り出し、すかさず会社に電話した。
「作業 終わりました。」
・・・あら、なぜ繋がるのかしら。携帯電話。きっと新しい機種なのね。それともあなたは、未来からやってきたの?・・・なんてね。それにしても、主人、いまどき、電話線なんかなぜひくの?
こんな工事までして。あたしは、やっぱり最新式の携帯電話がほしいわ。感度のいいやつ。
作業を滞りなく終わらせた男は、任務を終わらせた喜びで、頬を紅潮させ、軽い興奮状態だ。なんのためらいもなく、会社専用の携帯で自分の妻に電話をかけた。私用電話だ。
「あ、俺。今 仕事終わった。これからうち帰る。今日は疲れた。めし・・・暖かいのがいいな。寒かったんだ。風呂もはいるよ。」
「それじゃ。すぐ帰るから。すぐ。」
男は、そう言って電話を切ったあと、ふりしきる雪を一瞬だけ見つめた。
・
男は、青ざめた。
任務はまだ完了してなかったのだ。電話線がほんとに開通したのかどうか、確認していなかったのだ。
依頼された男は、ブルブル震える手で、ひとつひとつ確かめるように新しい電話機で、番号を押すのであった。依頼した男、この家の主人である働きざかりの男の携帯電話へ。
ふりしきる雪、羽根のように軽い雪。
「プー プツリ。」
・
「奥さん、間に合いませんでした。御主人はお亡くなりになりました。」
(05.1.20)
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